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初代ゴジラ(1954)を、今一度見直す

shin-godzilla.jp

 

 

シン・ゴジラの公開が迫ってきました。

 

シン・ゴジラの批評において、必ず引き合いに出されるであろう、初代「ゴジラ」について、改めて見直しました。私が初めて見たのは10年以上前。自分でもかなり誤解していた部分があったので、簡単にまとめておきます。

 

 

ゴジラは水爆や戦争の化身…ではない。

ゴジラが水爆や戦争の結果生まれた神罰のような存在である。。というのは、解釈としてそう考えるのは自由ですが、「設定」としてはだいぶ違います。

これは劇中の山根博士の説ですが、ゴジラジュラ紀に生息していた生物であり、水爆実験の影響ではるか海底の住処を追われ、日本に現れたという事になっています。つまりゴジラは、言ってみればただのデカい生物であり、神でもなければ、放射能によるミュータントでもなければ、戦争の怨念の産物でもありません。

また、水爆実験で住処を奪われたと言っても、爆発そのもので被害を被ったわけではないという事も気をつけなければいけません。山根博士はストロンチウム90の存在を指摘していますが、核爆発によって生まれた放射性物質が海底の環境を破壊した、と考えるべきでしょう。つまりゴジラで問題にしているのはぼんやりした「反核」ではなく、核実験または核爆発による自然破壊なのです。

そして、人間の環境破壊によって住処を追われた難民とも言うべきゴジラが、人間の手で止めを刺されてしまう。。というのがこの映画の悲劇な所です。

 

ちなみに、放射能の影響を受けない生命力を持つゴジラが、放射能の影響で住処を追われる、というのはちょっとおかしな話にも思えます。おそらく、エサである魚などが死に絶えたため、浅瀬に出るしかなかったのでしょう。大戸島の伝説では、昔からゴジラは、魚がいなくなるとたびたび陸に上がって人を食べてたそうなので、もともとそういう生き物だったんでしょうね。

 

 

初代ゴジラは戦争映画である。

以降の多くのゴジラ映画と違い、初代ゴジラは戦争映画だと思います。

それは、ゴジラを海底人の帝国などに置き換えてみれば明らかです。

水爆の環境破壊によって住処を破壊された海底帝国が、人間の船を襲い、街を襲う。人間は海底人の攻撃に憤り、恐怖し、ついには水爆以上の恐ろしい兵器で海底人を滅ぼしてしまう。そう考えると、ストーリーが急にわかりやすくなります。

 

ゴジラの被害は、台風や地震の被害と重ねあわせて描かれ、魚雷で沈められる船舶や、爆撃で火の海と化す市街など、戦争の被害のイメージとも繋がっていきます。

ただし、こうした現実の被害とのイメージの重ね合わせは、第一に、現実のイメージを借用することによって、映画の説得力を高める効果を狙ったものだという事を忘れてはいけません。だから、こういう演出を簡単に映画のテーマに結びつける今のゴジラ解釈の本流には少し危うい所を感じます。

ただ、「また疎開か、やだなぁ」みたいなセリフからもゴジラの襲来が戦火の再来として描かれているのはおそらく明らかでしょう。

 

映画全体を通して、初代「ゴジラ」が戦争映画として戦争のどういう側面を描いているかはこう推察できます。

戦争が、天災と同じぐらい人間の手に負えないものになってしまったことへの絶望感。その災厄から身を守るために、さらなる恐ろしい兵器に頼らざるを得ない絶望感。人は命が大切だからこそ、悪魔となって力を行使せざるを得ないという絶望感。

芹澤博士にオキシジェン・デストロイヤーの使用と自決を決断させたのは、小さな子どもたちの、清らかな鎮魂歌だったことは忘れてはいけません。

 

私は、「反戦」「反核」のような浅薄な解釈をつけて、映画をわかったような気になっている人間とは友達になれません。ですが、この「ゴジラ」に関しては、当時の人の戦争に対する思いを、とてもよく汲み取れる映画になっていると思います。

 

 

特撮としての初代ゴジラのすごさ

怪獣映画としてのアイデアのすごさは、今回改めて驚いたところです。

  • 平成ガメラのような、被害地や病院を克明に描く悲劇描写
  • 2014GODZZILAのような、天災と重ねあわせたディザスター描写
  • 同じくギャレゴジの、怪獣の去った後を見せて強大さを描く描写
  • 逃げ惑う人間と怪獣を1カットに合成した、お約束の構図
  • テレビ塔上のマスコミ等、視点の変更を活用した臨場感
  • 海岸線に張り巡らせた鉄塔群のような、大仕掛け

これら後の怪獣映画に出てくるアイデアが、ほとんど既に網羅されている。

これは本当に驚きです。

後の怪獣映画が、どれほど初代「ゴジラ」をなぞっているのか。初代「ゴジラ」が偉大な映画であるという事が大変よくわかります。

 

 

シン・ゴジラがどういう映画になるかは、今のところまったくわかりませんね。

「現実対虚構 日本対ゴジラ」というキャッチコピーから見れば、'84ゴジラのような「現実の日本にゴジラが現れたら」みたいなコンセプトなのかもしれません。でもまぁ、映画のキャッチコピーは本編と関係ない事も多いので…。

予告編のゴジラのカットは、相変わらず普通の風景のド真ん中にポーンとゴジラ合成してみましたーみたいな構図ばっかりでちょっと、ね。期待する部分を見出だせずにいます。そりゃ見に行くに決まってるんですけどね。