語りたいところだけ語りたい。

アニメ・映画・マンガ、その他色々言いたいことを、「取りこぼしの無いよう」では無く、「語りたいところだけ」語ります。

「GODZILLA 2014」 これだけは言っておきたい。

ハリウッド版2014年「GODZILLA」、地上波初放映が迫ってきました。

テレビ放映で初めてご覧になる方に、より楽しむ助けになればと思い、多少ネタバレを含みますが、見る上でガイドラインになる、とある事を書いておきたいと思います。

 

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公開後、「これは良いじゃん!」「いやぁ、こんなもんじゃ」と賛否両論の本作ですが、初めに言っておくと私はかなりの「いやぁ良かったよ!」派です。

 

どの感想やツッコミも納得いくものが多いのですが、この「GODZILLA 2014」がとても映画的であるがゆえに、あまり語られずに置かれているある重要な要素について、ここに記しておきたいと思います。映画的とは、重要な事をセリフで説明したりしない、という事です。

 

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さてこの「GODZILLA」、普通に見ていると、ある同じ事が繰り返し繰り返し描かれている事に気づいた方も多いと思います。

 

それは、大人(親)が子供を助ける、というシーンです。

 

冒頭の原発事故のシーンでは、主人公の母親が命を賭して街と息子を救います。

ハワイのシーンでは、主人公フォードが偶然居合わせた子供を助けます。

そしてフォード自身も一人息子の父親であり、息子の元へ辿り着く為に奮闘します。

 

この繰り返しの描写が、一体何を意味しているのか。

 

それは、この映画のクライマックス、敵怪獣の巣でフォードが行った、ある行為 によって明らかになります。(何をしたかは本編で確かめてね)

 

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登場人物が子供を助けるシーンの積み重ねと、フォードが最後に行ったある行動によって、この映画が映画全体として訴えかけてくる何か重いもの、それは何なのか。

私の考えはこうです。

 

「種を越えた闘争とは、相手の子供を殺す戦いである。

という、圧倒的に恐ろしく残酷な真理」

 

そう考えれば、今回の敵怪獣が雌雄繁殖を特徴としているのは必然と言えます。

冒頭で発見された小さめのゴジラの骨。それももしかして・・・?

でもそう考えると、ゴジラが敵怪獣を執拗に追う理由もまた違って見えてくるのです。

(この辺の予想はあまり詳しく調べてないので間違いかもね)

 

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フォードは自ら行った行為によって、この残酷な闘争の当事者、「怪獣」の一人となり、だからこそ皮肉にもゴジラと敵怪獣を倒すために用意された核爆弾によって「天に召される」事になったのだと思えば、あのラスト近くの不思議な表現も理解できます。

 

そして、「怪獣」はフォードだけではありません。巣のシーンでフォードに何の疑問も抱かず同調した観客私達も、「怪獣」だと言えるんじゃないでしょうか。

この映画は、そういう重い真理を観客に突き付けているのだと思うのです。

 

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それにしてもこの映画の高級な所は、大事な所でセリフが抑えてある所です。

件の巣のシーンで、フォードはある行為を、本当に一言も発さずやり遂げます。

許しを乞うわけでもなく、怒りを露わにするわけでもない。

ただ、何をするべきか悟ったように、やるんです。スゴイ。しびれる。

 

あと、芹沢の原爆について語るシーンも良かった。広島長崎について語っても、米軍司令官に向かって「だからどうしろ」とは言わない。抑えが効いてますね。

 

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コレ以降は余談です。

映画未見の方は読まなくて大丈夫です。

 

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あともう一つ、全く関係無いけど良かった所!

現実の災害になぞらえた天災としての怪獣表現、息を呑みました。

 

ビルの倒壊、ハリケーン跡のような破壊痕。

特に「海を連れて上陸してくるゴジラ」の表現は311後の日本人には悲鳴ものです。

 

こういう現実の災害を参考にすることは、酷く不謹慎だと言われるかもしれない。

ですが今のyoutube時代、観客は本物の災害映像に慣れて、リアルな映像のハードルはどんどん上がっていっています。否応なしに。

911後やスマトラ地震、311の後のVFXが、変わらずいられるわけはないんです。

そこに真正面から挑んでくれた事に称賛を送ります。

 

邦画では、「のぼうの城」の水攻めが津波に似ててお蔵入り、のような不幸な事態があったみたいで難しいですね。だけどいつの日かは頑張ってほしい。いつまでもミニチュアに爆薬仕込んで喜んでいるわけにはいかないはずです。

 

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邦画の話が出たのでもう一つ。

 

この「GODZILLA」が「金子ガメラ1」そのものだっていう指摘がよくありますね。

たしかに、大まかな筋は似てる所が多いと思います。

ただ、骨子の部分での違いは大きいです。

 

ギャオスの卵で増える要素は、怪獣の生物的側面を描きリアリティを高める仕掛けにすぎませんでした。そして、ガメラとギャオスは生物というよりは、古代人の残した超兵器というのが正体です。言ってみれば人間の正の部分がガメラで、負の部分がギャオスである、という人間界の中で閉じた話がガメラ1の大まかな骨子です。

 

GODZILLA」ではゴジラ、敵怪獣、人間は、フラットにただ地球に生きている別種族として描かれ、人間がゴジラや敵怪獣に無視されがちなのは、単に彼らの生存をおびやかすものとして認識されていないからのようです。そこから見えてくるのは、簡単に言ってしまえば種を越えた無慈悲な生存競争です。

 

(一応書いておくと自分は金子ガメラも大好きです)

 

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そういえば、ゴジラの位置づけについては別の可能性も示されてました。

芹沢の「自然界の調和を図るためにやってきた」というやつです。

 

でも・・・このセリフを聞いた時とても居心地の悪い思いでした。日本人の、「どこかの誰か、偉い人が調和を図ってくれる」っていう願望を見透かされてるみたいで。

動物番組とかで「自然は自ら調和を図っている」ていうお決まりのセリフ、昔から信じてないんですよね。全く。

 

 

 

 

 

語りたいとこだけ語るブログなので、

書くことなくなったらおしまい。

またね。