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無機質な神「シン・ゴジラ」 - 初見感想

shin-godzilla.jp

 

 初日初回に見に行った、「シン・ゴジラ」のファーストインプレッションです。

感想は、何回も見れば変わるかもしれないので、あくまで現時点ということで。

好きな作品なので批判はなるべくしないようにしますが、絶賛でもないです。

「シンゴジサイコー!」状態を維持したい人は多分見ないほうがいいかも。

 

 

 

ネタバレ全開です

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

感想ここから。

 

 

1.今回のゴジラはどういう存在なのか

 

 ゴジラ映画において、各作品のゴジラがどういう存在なのか、何を象徴しているかということは、映画を理解するうえでまず抑えなければいけないポイントです。

 

 今回のゴジラの特徴を書き出しましょう。

・核技術によって妻の命を奪われた科学者・牧博士が研究し、東京に解き放った存在。

・人間を遥かに超えるDNAの長さを持つ、地球で最も進化した生命体。

核分裂反応を超える、超エネルギーを生み出す細胞を持つ。

・あらゆる物質を燃料にでき、水や空気があれば活動できる。

・個体進化する。進化を続ければ飛行能力を得る恐れすらある。

・分裂して増えていく。

・通常は歩いた場所を潰していくだけだが、攻撃に対しては徹底的な反撃をする。

・自身が発している放射線は多少のレベル。炎で焼きつくした場所は高線量になる。

・大量に分裂し、飛行し、焼きつくされれば世界は終わり

 

 いやぁ、こう書いてみると、とてつもない強さですね。

 

 まず今回のゴジラですが、これまでのゴジラとは違って、「核」や「戦争」との繋がりはかなり薄い存在だということが言えます。ゴジラ「核を超える超エネルギー」で動いている「究極生命体」であり、これを新技術として利用しようとした米国と、新技術による兵器や事故を危惧した牧教授の決裂が、今回の映画の発端のようです。

 

 いままでと違い、ゴジラが「超エネルギー」で動いている存在とされたのは何故なのか。それは、ゴジラを単なる「核」の象徴としてではなく、「核を含めたテクノロジー全般」の象徴としたかったからだと思います。ゴジラを核を超える新たなエネルギーとして描くことで、核のみを象徴していた今までのゴジラの枠を破りつつ、テクノロジー全般を象徴する存在へと変えているのです。

 

 つぎに、ゴジラの行動について。今回のゴジラは、感情や意思をはっきり感じる部分があまりありません。歩いて街に居座り、攻撃されたら反撃する、でほぼ全てです。その反撃の仕方も、ビームでの飛行物の自動迎撃など、機械的な印象を受けます。劇中の登場人物も、途中からゴジラの意思を読む事に意味は無いと考えていました。

 

 ゴジラに意思が無いとすれば、なんなのか。ただそこに在り、害意には害意を返す、人間にとっての鏡のような存在。それは「神」です。しかも、子供を産んだり戦争したりする神話の神さまじゃありません。ただ神に対してどう行動したかを判定し、仇なすものには天罰を与える、無機質な「審判者・裁定者としての神」、それが今回のゴジラだと言えます。だから、どんな兵器でも破壊できない。ゴジラ自身の力(冷却能力)によって、鎮まってもらうしかなかったわけです。

 

「核を含めたテクノロジー全般」の象徴であり

「審判者・裁定者としての神」である。

さらに、分裂を繰り返し空を覆い、放射能とビームで大地を焼きつくす。「ゴジラ」としてはとても新しいと思います。

 

…思います、が、私たちはこういうキャラクターをすでによく知っています。

 

そうです。ご存知巨神兵です。

 巨神兵は、「風の谷のナウシカ」に登場する巨大な人工神です。劇中では、テクノロジーの極みに達した旧人類が、人類を平定する審判者として創造したと考えられています。伝説では世界を滅ぼしたと言われていますが、真相は歴史の闇の中で、よくわかりません。

 

 正直に言って、今回のゴジラ巨神兵そのものだと言っていいと思います。第五形態が巨神兵の姿だったのかもしれないし、核攻撃によって分裂し、巨神兵として世界に散らばる未来が待っていたのかもしれません。最後のカットで尻尾の先に見えている人型の影が、巨神兵の小さいのに見えてしかたがなかった私の気持ちが、分かって頂けたでしょうか。

 

 もっとあけすけに言ってしまいましょう。

牧博士=宮崎駿であり、「原発なんかに頼ってる大人どもはもう知らない!文明滅びよ!」という怪獣・宮崎ゴジラの、長年の「文明を捨てて自然に帰れ!大人は子供の純真さに戻れ!」という主張に対する、庵野監督世代からの回答、それが「シン・ゴジラ」なのです!(笑

 

 まぁそう言い切ってしまうのはさすがに冗談なのですが、そういう部分が全く無いとは言えないと思います。付け加えると、「ヤシオリ」作戦の名前もこの解釈を強化してくれると考えています。ヤマタノオロチは荒ぶる神であり、説によれば、「製鉄」という「武器にも福音にもなる」新技術を持った部族を伝説化したものとも言われていますよね。

 

 

2.特撮・人間ドラマ

 ここからちょっと愚痴多くなります。

 

 特撮に関してはちょっとがっかりしました。もちろん、今までの日本のゴジラ映画と比べたら、天と地ほどの向上があったことは間違いないです。それは自分も認めます。

ですが、この映像を絶賛する人の意見を見るたびに、邦画、ゴジラ映画と庵野・樋口映画に対する期待度がそんなに低くなっていたのかと愕然とするのが正直な気持ちです。爆発、炎の合成はひと目で合成っぽさが目につく。ゴジラの第二形態のウルトラ怪獣のようなマヌケ面や、第四形態のゴムっぽい質感は狙いでしょうから我慢します。ただ、実景との合成は全てゴジラが黒すぎて浮いています。巨大なものと人間大のものとの合成は、「進撃の巨人」では色をキッチリ合わせて、空気遠近法を入れてかなりうまく見せていたのに、どうして「シン・ゴジラ」ではこうなってしまったのか、残念です。

ただ、ビルや何かが壊れる部分は非常にダイナミックかつ説得力があり自然でした。

巨大感のあるビルが崩れて、巨大感の無いゴジラに降るという非常に不思議な映像感覚でありました…。

 

 人間パート。官僚の仕事を、ここまでディティール深く描いた映画やドラマは、特撮以外の邦画を含めても稀有で、すごくユニークな作品になってると思います。311の後、政府や官僚、自衛隊の仕事・活動を固唾を呑んで見守った自分たちだからこそ、あの描写にリアリティーを感じるし、まさに今やるべき描写だったと感嘆します。

前半はユーモアも交えて、後半は格好良さ優先でというのもエンターテイメントになっていたと思います。

 

 ただ、自分がこの映画で一番心を掴まれたのは、主人公たちのどのシーンでもありませんでした。私が感動したカット、それは名もない消防士が、人を避難させようと声をかける場面です。311の時に私達が感動したのは、こういう名もないヒーローが日本に沢山いたことじゃないでしょうか。それが「日本の希望」だと思いませんでしたか。こういう描写をもっと入れて欲しかったですね。官僚側だけではなく、もっと地面の近くからの視点もあったほうが、胸にせまるものがあったと思います。

 

 

3.エトセトラ

 長くなったので、あとは気がついた所を箇条書きで。

・第二形態が起こす川津波は、津波への恐怖を思い起こさせる狙いかもしれないけど、

 やっぱりあれだけじゃ不十分。でもテレビ放映を考えたら限界なのかなぁ…。

・ヤシオリ作戦のクレーンでの注入は、明らかに福島原発への冷却水注入作戦に

 着想を得てると思うんだけど、なんであまり指摘してる人を見ないんだろう…。

・映画を通して一番「ドラマ」を感じたのは、第二形態に射撃をするかどうか、首相が

 決断するシーンでした。あの時射撃してたらゴジラや東京がどうなってのたか…

 考えてみるだけでも面白いですよね。

ゴジラのビームをみんな放射火炎とか放射熱戦とか呼んでるけど、もうあれは

 「プロトンビーム」って呼ぶことにしようよ。

ゴジラ巨神兵エヴァ的な庵野ワールドに組み込まれてる事は、人によって

 嬉しいという意見とやめろっていう意見と両方ありますよね。

 私は…けっこう萎えるほうです。

・今回のゴジラに近いゴジラ映画は、「84ゴジラ」だと思います。

 初代とは明らかに違う。初代は最後にゴジラを可哀想と感じてしまう悲劇の映画

 ですが、「シン・ゴジラ」でゴジラ可哀想と思う人はあんまりいない。

 それが2つの映画 の根本的な違いを最も良く表していると思います。

 

 

今回はここまで。